ブラックホール
















「ただいまぁ・・・」


ぎぃ、と耳障りな音を立てて開いた重く硬い扉。
玄関に入り、扉から手を離すと、またぎぃ、そしてばたん。大きな音で閉まった。
首に巻いたマフラーを右手で、コートのボタンを左手で、手袋を口で、ブーツを足で。
もぞもぞと同時進行で全てを外し、そこにそのまま座り込む。
やけに広い玄関のコンクリート(きっと、洋の靴がないからだ)の冷たさが、顔まで届く。


「洋・・・ただいま」

もちろん、その声が「洋」に届くはずがない。けどそれでいいの。
あたしがその声を向けたのは洋じゃなくて、玄関の棚の上にある「洋とあたしの写真」だから。
本人に向けて声を出しても届かないって気付いたから。
洋は声どころかあたしの手も届かない場所にいるから。
それなのに洋は、あたしが何気なく買った雑誌のページにいきなり登場してたりする。
何気なくテレビ、ラジオをつけた時に洋の姿が見えてしまう、声が聞こえてしまう時もある。
増してやベースを弾いてる真剣な表情を見てしまった日には・・・

神様は優しいのだろうか。
中々会えない洋の姿をメディアを通して見せて、あたしの寂しさを紛らわせようとしてくれているのだろうか。
だとしたら、それは大きなお世話だ。
会えないのに、触れないのに。そんなことするくらいなら洋の姿なんて見ない方がいい。
あたしだけが見ることのできる、洋の表情。洋の温もり。
それをメディアじゃあたしに与える事ができないから。
神様は優しいつもりかもしれないけど、あたしにとってはただの意地悪にすぎない。


“おかえり”


洋の声でそう聞こえる日を、あたしはどれだけ待ち望んだだろう。
洋の腕でベースと同じように、優しく愛を込めて抱きしめてもらえる日を、どれほど夢に見ただろう。


「ねぇ、洋?」


また写真に話しかける。写真の中の洋の細い首にはあたしのイニシャルのネックレス。
テレビや雑誌に出るときは仕方ないから外しているけど、あたしはそれが苦しくて仕方ない。

分かってるよ。彼女が居るってバレちゃったら大変だもんね。
分かってるよ。今や洋は全国に名を轟かすORANGERANGEのベーシストだもんね。
分かってるよ。分かってるけど。


「洋・・・」


あたしのワガママ、聞いてよ。
あたしを今すぐ抱きしめてよ。今すぐ優しくキスしてよ。
あたしの名前、今すぐその声で呼んでよ。
あたしの耳元で今すぐ愛してるって囁いてよ。


ね、洋?



「愛して・・・る、洋。」


あたしらしくない。泣き崩れるなんて。
ぺたりと膝をコンクリートにつけると、ひんやり氷のような冷たさが伝わってきた。
でもそれも、あたしの心に比べたらまだ暖かい。

うつむくと、長い髪の先がコンクリートにぱさりとついた。
コンクリートの灰色に、黒っぽい丸い染みがいくつも付く。
それぞれが重なり合い、そこだけ穴が開いたように染みは大きくなった。











ぎぃ・・・ばたん











「俺だって愛してるよ。ごめんな、。」










コンクリートの染みが乾く頃、あたしたちは何回目かの長いキスをしていた。
そして、洋の細い首に回すあたしの手、薬指には、きらりと光るリングがはめられていた。






































-end-